史料集

日本物理学の青春時代
日経サイエンス 1999年3月号に掲載された「南部陽一郎が語る 日本物理学の青春時代」の初校の校正(1999.1.8付)である。著者は南部陽一郎とL.M.ブラウン。元々Scientific American, December 1998 にタイトル「Physicists in Wartime Japan」で発表された。その日本語訳である。戦前、戦中、戦後と醸成され花が開いた日本の物理学、それを築いた仲間たちの活動と足取りが蘇る。上の写真は1942年1月, 東京帝国大学理学部物理学科の一室で読書する南部陽一郎。この直後、南部は戦時早期卒業生として陸軍に徴兵された。
この記事の中で次のことも語られている。1929年ハイゼンベルクとディラックが日本を訪問した。彼らの講義の後、長岡半太郎は「 ハイゼンベルク博士とディラック博士は20代ですでに新しい理論を発見していたというのに、日本の学生は講義内容をノートに一所懸命書き写しているだけではないか」と叱責、その時聴講していた朝永は後に「長岡先生にあれほど叱咤激励されても、当時の私にはどうする術もありませんでした」と述べた。朝永と湯川は京都帝国大学で無給の副手として研究に励んだ。湯川は1933年大阪帝国大学講師となり、1935年「物事を説明するのに、不必要に仮定を積み重ねてはならない」という原則に反して新しい粒子(中間子)の存在を予測する理論を発表する。そして戦争に突入。仁科も朝永も湯川も南部も軍事関連の仕事に駆り出されてしまう。 それでも研究は続く。戦後朝永は量子電気力学の基礎となるくりこみ理論を提唱する。日本にとって最悪の時期に、なぜ理論物理学の分野では最も創造的な仕事が続出したのか。物理学者たちは自由に自分の考えを発展させることができたのだろうか。(OU-essay-B7, 11 pages)(文:細谷 裕)
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