大阪大学 大学院理学研究科・理学部南部陽一郎記念室Yoichiro Nambu Memorial, Osaka University
南部陽一郎と
大阪大学
南部陽一郎博士と大阪大学の繋がりは第2次世界大戦末期に始まる。戦時繰上卒業の後、陸軍に徴兵された南部は宝塚にあったレーダー研究施設に配属され、そこで顧問として従事していた大阪帝国大学の伏見康治、内山龍雄、八木秀次、岡部金治郎等と近づきになる。智恵子夫人とも出会い結婚。戦後3年間は東京大学に住み込み、木庭二郎ら朝永理論のグループに入り込む。1949年に大阪市立大学の助教授、翌年教授に就任し、1952年にプリンストン高等研究所、1954年よりシカゴ大学のメンバーとなる。
南部はアメリカ東海岸、西海岸よりも中西部に位置するシカゴ大学を自らの地としてこよなく愛した。超伝導理論を萌芽に素粒子物理学における対称性の自発的破れの理論を提唱し、宇宙の物質を構成する陽子や中性子の質量の生成機構を解明、クォークのカラー(色)自由度の発見、強い相互作用の基礎理論であるSU(3)カラーゲージ理論の提唱、素粒子がひもであるとする弦理論の定式など、その後の素粒子物理学の潮流を道づける数々の理論を生みだした。南部理論はいつも時代の10年先を行くものであった。
1990年以降、南部は大阪大学に招へい教授としてしばしば滞在することになる。2000年代、豊中市上野東に自宅を建て、毎年3ヶ月ほど大阪大学で研究に従事する。2008年12月、ノーベル物理学賞を受賞。翌年5月13日に当人にとって最初のノーベル物理学賞受賞記念講演「私が歩んできた道」を大阪大学理学研究科にて行う。講演の中で南部は「物理というものは楽しいものであることを忘れてはいけない」「人間としても、仕事の上でも、何か個性を持ってやる、その心がけが大事です」と力説した。
シカゴから豊中に移住し、2011年には大阪大学特別栄誉教授に就任、また豊中市名誉市民になり地域の教育活動にも尽力した。晩年透析を受けつつも、2013年12月17日大阪大学で開催された国際シンポジウムで「A New Look at Fluid Dynamics」の講演をした。生涯、研究を喜び極め続けた。
これからの物理の道しるべ
南部博士の物理学における業績は広範囲で、とてつもなく大きい。特に、1950年代後期から1980年代になされた仕事は、膨大な量の新しい実験観測データで謎に包まれていた素粒子物理学に光を差し込み、自然を記述する基礎理論の探索、構築を先導した。アインシュタインが夢見た「統一理論」は南部のアイディアによって現実のものとなりつつある。まだ道半ばであるが、今後、若い人々は南部が切り開いた道に沿って、さらに磨きをかけて、驚きに満ちた美しい物理、自然の姿を明らかにしてくれるだろう。
自然界には少なくとも4つの力がある。重力と電磁気力(電気と磁気の力)、この2つはアインシュタインの時代から知られていた。重力の基礎理論はアインシュタインの一般相対性理論であり、電磁気力はマクスウェルの理論で記述される。両者とも美しい原理の上に作られた。物理の基礎理論は数式を使って表される。物理の美しい原理は、数式に潜む美しい「対称性」で特徴づけられる。
1930年代になると自然界にはさらに新しい未知の力があることが判明する。現代の言葉でいえば、強い力と弱い力である。原子核の中の陽子と中性子を引きつけている力(核力、強い力)と原子核の崩壊を引き起こす力(弱い力)、これらをどう説明すればいいのか。湯川秀樹博士もこの問題に取り組んだ。湯川博士は1934年大阪帝国大学(現在の大阪大学)理学部で、核力は新しい中間子(パイ中間子など)の媒介で生まれるという理論を発表した。 南部博士は大阪大学でよく述べていた。「理論的な方で湯川さんが初めて中間子という新しい粒子の存在を予言した。実験の方ではそういうものを作るための高いエネルギーを作り出せる加速器をローレンス(Lawrence)が発明した。湯川とローレンスの二人が素粒子物理学の元祖であると私は思う」と。
戦後(1945年以降)加速器技術の進歩によって、新しい粒子がどんどんと見つかる。この状況を当時の研究者たちは「particle zoo(新粒子の動物園)」と呼んだ。湯川の中間子の考え方では整理できなくなってしまった。まずは現象の整理、そしてそれを説明するモデルの提唱がなされる。こうして、クォークモデルが生まれ、南部はカラー(色)自由度の存在を提唱する。だが、モデルだけでは自然現象を説明したことにならない。一体、クォークはどのようにお互いに力を及ぼし合うのか。そもそも、我々の質量(重さ)はどのように生まれるのか。アインシュタインの理論やマクスウェルの理論と同じような基礎理論で強い力や弱い力を説明できないか。この疑問は、南部のインスピレーションによってノーベル賞受賞理由となった大理論、革命的な思考転換に発展する。
ノーベル賞
物理の理論は簡単 (simple) で美しい (beautiful) 、これはアインシュタインの信念であった。単純さと美しさの追求が究極の真理にたどり着く。自然はそれを証明してくれる。南部も講演や授業でよく語った。「自分は物理が好きだ。たった1ページのことを覚えていれば、あとは全て導けるから」と。
物理には原理がある。アインシュタインの重力理論を支えるのは相対性原理である。物理の理論は数式で表され、原理は数式が持っている対称性そのものである。電磁気力を表すマクスウェルの理論もゲージ不変性という対称性で全てが決まる。重力理論と電磁気理論は美しい。一方、1960年ごろの素粒子物理学で明らかになってきていた強い力や弱い力の現象を説明する理論は継ぎ接ぎだらけのものだった。そのときの状況は、上の「Einsteinの不満」の図(南部が1978年国際会議で荒船次郎氏に依頼して描いてもらった)そのものであった。左側の美しい日本の城(重力の理論)と右側の新しいが雑然とした工場(強い力と弱い力の世界)が無理やり結びつけられている。
この頃(1957年)、物理の大問題の一つであった超伝導を説明するBCS理論が発表された。南部も深い関心を寄せていた。BCS理論の基底状態(エネルギーが一番低く安定な状態)では電子数が定まっていない、つまり粒子数が保存していないことに南部は頭を悩ませた。物理の基本方程式は電子数を保存するのに。南部はBCS理論を理解するために、基本方程式を別の形に書き直した。そこで驚くべきことに気がついた。なんと、超伝導の基本方程式と素粒子の基本方程式(ディラック方程式)が同じ形をしているではないか。さらに素粒子の質量(重さ)は超伝導での「ギャップ」に対応している。超伝導物質は温度を上げると超伝導の性質を失い通常の物質になり、「ギャップ」は消え、電子数は保存されるようになる。ということは、素粒子の質量は通常状態ではゼロで、超伝導状態だからこそ質量が生じることになる。これはどういうことか。
南部の怒涛の研究が始まる。電子や陽子はスピンを持っていて、左巻きと右巻きの状態がある。質量(重さ)は左巻きを右巻きに、あるいは右巻きを左巻きに変える。質量がゼロの世界では左巻きと右巻きを入れ替えても不変になっている。(これは専門用語で「カイラル対称性」があると表現される。)質量がゼロの世界の方が単純で美しく、物理の理論として高い対称性を持っている。現実の陽子が質量(重さ)を持っているのは、超伝導現象と同じように、ダイナミックスによって(つまり粒子間の力の働きで)「カイラル対称性」が自発的に壊れるからではないか。1960年南部は具体的なモデルを作り「カイラル対称性の自発的破れ」が実現されることを示した。同時に、湯川のパイ中間子が他の粒子に比べて必然的に非常に軽くなることも示し、当時の数々の謎が解かれることになった。この論文が2008年ノーベル賞に輝く。
2009年5月13日 大阪大学理学研究科・理学部 D501大講義室
しかし南部の理論はすぐには受け入れられなかった。対称性が自発的に破れることは、素粒子の世界の真空が空っぽではなく媒質のように振る舞うことを意味する。超伝導状態では電子対(クーパー対)が凝縮して埋まっているのだが、同じように素粒子の世界の真空ではカイラル対(右巻き左巻き対)があたかも見えない形で凝縮している。多くの人は理解できなかった。後にノーベル賞を受賞することになる研究者達さえも拒否反応を示した。
「対称性の自発的破れ」の考え方は「Einsteinの不満」を解消する鍵であり要である。なぜ、電磁気の力、強い力、弱い力など異なった力があるのか。弱い力の世界では、電磁気の力、強い力が有する多くの対称性が壊れている。これらの力を単純に一つの力にまとめることができるだろうか。これを可能にするのが南部の「対称性の自発的破れ」である。「Einsteinの不満」図の右側、電磁気力、強い力、弱い力の工場群も実は美しい現代建築(ゲージ理論)に置き換えられ、一つの高度な対称性が自発的に破れることによって電磁気力、強い力、弱い力の3種の力になるのである。1960年代後半から1980年にかけて、カイラル対称性の自発的破れも、電磁気力と弱い力の統一ゲージ理論、強い力のゲージ理論も確立されるに至った。今では南部の対称性の自発的破れのメカニズムを誰も疑わない。
文: 細谷 裕(大阪大学名誉教授)